信仰 Faith

幸福は全ての人が望むものです。お金があれば全てが手に入ると考える人もいるようですし、お金だけではなく、地位や名誉、さらに教養や品格も、幸福になるためには必須だと思っている人も多いと思います。

また、真・善・美を求める人も多いと思います。哲学や文学、芸術を好む人、山登りや庭仕事で自然を愛する人など様々でしょう。このような人々は、お金や名誉はなくても幸福だと感じているかも知れません。

しかし、「幸福になるためには信仰を得ることが大事である」と考える人は現代日本では少数派だと思います。

私も数年前までは、目に見える現世以外に天国や地獄があり輪廻転生するというのは単なる迷信だろうと思っていましたが、ありがたいことに、今では「信仰」の重要性が理解できるようになりました。

どのような経緯で私が信仰に目覚めたかを、極少数の人にでも役立つことがあるかと思い、以下に書いて見ます。

昔から幸福論や哲学の本などを好み、近所の図書館から借りては色々と読みましたが、最も愛読したのは道元禅師の正法眼蔵でした。これは難解ですが、善を求める求道精神に心引かれたのだと思います。

道元禅師の正法眼蔵75巻本第5「即心是仏」では「身体が死んだ後にも霊知が残ること」を先尼外道の見として斥けています。しかし、禅師晩年に書き直された正法眼蔵12巻本第8「三時業」では
生と次生での業報の理(因果応報)を説いており、輪廻転生を前提としています。
どうも禅宗は他生(死後の世界)については明確に答えてくれないようでした。

人は死んだ後にどうなるのかという疑問に答えてくれたのが
スピリチュアリズムの本で、アラン・カルデックの「霊の書」やシルバーバーチ、モーゼスの霊訓などでした。これらはインターネットで公開されております。 

その後Emanuel Swedenborg(1688-1772)の「天界と地獄」や「天界の秘儀」などを入手して読み進めるうちに、死後の生命や世界を信じるようになりました。

スウェーデンボルグ(スエデンボルグ、スヴェーデンボリ)の著作では、輪廻転生については明記されていませんが、死後の世界が詳細に述べられています。また、聖書の内意についての解説などがあり、キリスト教の真の姿を教示しています。

これらの本の内容は、人間が明確に感じ取れるものではないため、多くの人が「本当なのか?」という疑問をもつことは致し方ないと思います。

では、なぜ私が信じているかと聞かれれば、不思議だと感じていた幾つかの体験がこれらの本により理解できるようになったことと、説かれていることが理性的であり、提示されている「主を中心とした1つの世界(生命)」が美しいと感じるからです。
私も最初は、「本当なのか?」という疑問を持つ部分もありましたが、しだいに全体として信じるようになりました。全体としてという意味は、スウェーデンボルグやスピリチュアリズムの本から得られる世界観は、同一で整合性のとれたものだと理解できるようになったからです。

これらを信じることができるようになって得たものは「安心立命」というような感覚です。

哲学や幸福論などの本を読み始めたころは、自分の「我」が強く、色々なことが苦しく感じられていました。正法眼蔵などを好んだのも「無我」という境地に憧れていたからだと思いますが怠惰な私は参禅するほどの元気はありませんでした。ただ、娯楽として良い音楽などを聴いていると「忘我」というような気分になり慰められたことはあります。
さらに、信仰の知識を得て、主や隣人を愛することができるに従い、自分の「我」は小さくなっていくようです。

現在も私は「多事多難」という状況ですが、死後の世界も含めた広い視野で物事を見れるようになると、現世のことや自分のことはどうでもよくなり「安心」していられます。また天運に任せよう(主に頼む)という気持ちになると将来のことを心配することも少なくなります。

但し、周りの人々のことが心配になり、自分にできることは殆ど無いと知りつつ、気にかかるようになりました。(2009.05.19)

スウェーデンボルグの本も難解で、驚くような事柄が述べられているため、すぐに信じることは困難だと思いますが、私が理解するために「天界の秘儀」を簡略に書き換えた抜粋とメモを作りましたので参考として下さい。

1.愛と信仰、人間の再生とは?

2.善と真理:(天界)とは?

3.悪と誤謬:(地獄)とは?

4.教会、真の信仰

5.音楽

6.創造論


霊 Spirit

 10歳頃の夏休みに、爽快な気分で見晴らしのよい高原から遠くの山を眺めていると、ツバメが飛んできました。用事もなくノンビリしていたのですが、突然、自分の意識が体から抜け出して遠くの山まで飛んで行きツバメの巣を確認して戻ってきた、という感じがして驚きました。但し、ゆっくりと空を飛びながら視点を移動して見るという感じではなく、「浮遊感を伴って、ツバメと巣と山と高原が一体的に繋がっていることを知覚した」という表現が良いかもしれません。「内面が外側に」と書く inside-out という英語は「裏返しに」と訳されますが、この時の感覚に近いような気がします。
 大人になってからは体験したことのない不思議な感覚でしたが、その後、スピリチュアリズムやスエデンボルグにより体の内面に霊(Spirit)があることを知り、もしかすると、一瞬だけ体から霊が抜け出したのではないかと思うようになりました。
 スピリチュアリズムの本によると、睡眠時に霊が体から離れて霊界を訪問することは一般的で、夢として思い出すこともあるようです。そうであれば、上記の体験は白昼夢かもしれませんが、野原で眠りこけた記憶はありません。私の記憶では、目覚めたまま、夏休みの開放感を高揚し一瞬で味わったという感じの不思議な体験でした。(2010.06.19)

音楽 Music

 20年以上前に何も考えずにベンチに腰をかけながら上図のような数本の松が風に吹かれて揺れているのを遠くから眺めていると唐突に「これが音楽なのだ」という考えが頭に流れ入ってきました。私は真面目に「音楽とは何か?」などと考えたこともなかったために驚いたのですが、不思議に「これは単なる思いつきではなく真理である」という確信も伴った忘れがたい体験でした。
 数十メートルの背の高い松が、相互に影響を与えながら、風に吹かれてゆっくりと揺れているのは調和のとれた良い眺めだったのですが、なぜこれが「音楽」なのか私には理解できず、長い間の謎でした。
 しかしながら、その後、スピリチュアリズムやスエデンボルグにより天界と人間との交流があることを知り、さらに最近、霊感を得て素晴らしい演奏をした名人を
「正しい風を得たエオリアンハープ」と讃える文章を読んだ時に、風とは霊(天使)または生命(主)であり、エオリアンハープは演奏家、松は人間に相応するのではないかと理解できました。
 長い間の謎の一部が解けたような気がしたので古い体験を紹介しました。(2010.01.11)

風はその好むところに吹く、あなたはその声を聞くけれど、それがどこから来て、どこへ行くかを知っていない。すべて霊から生まれる者もそのようである。(ヨハネ伝3.8)

宗教 Religion

 本日は御盆なのて宗教に関して書いてみます。
最近、宗教の重要性を知り、昔の田舎の年寄りが、法事などで「〇〇さんは信心深い」とか「正直者だ」と褒めていたことの真の価値が分かるようになりました。
スエデンボルグの「神の摂理」などに拠れば、人間は永遠に幸福に天界で生きるために創造されており、「神を承認して善い生活を送るものは救われて天界に行く」ということを教える宗教は普遍的なものだということです。
このことを知れば現世における宗教の重要性は明らかですが、現在の日本では「宗教」という言葉のイメージが悪いようなのが残念です。(2010.08.15)