創造論1

スエデンボルグの「神の愛と知恵」(柳瀬芳意訳)などからの抜粋、抄録です。

創造の目的:(神の摂理 27 より)

天界は人類から生じ、永遠に主とともに住むことが天界であるゆえ、主はこのことを創造の目的として定められ、かくて天界は創造の目的であるため、それはまた神的摂理の目的である。
主は宇宙を御自身のために創造されたのではなく、ともに天界に住むことのできる者たちのために創造されたのである。
なぜなら霊的愛は、その持っている一切を他に与えようと願い、その願いを満たせれば平安と祝福を得るからである。霊的愛は、主の神的愛からその性質を得ている。
これらより以下のことが生まれる。
神的愛は、ひいては神的摂理は、天使となった人々また天使になりつつある人々からなる天界をその目的としており、主はこの者たちの中に居られることにより、愛と知恵の全ての祝福と幸福とを与えることができるのである。

用:(神の愛と知恵 より)

329. 宇宙の創造の目的は、「用」とは何であるかを明らかに示している。
宇宙創造の目的は天界の存在であり、そして天使の住む天界が目的であるため、人間または人類もその目的である。なぜなら天界は人類から発しているから。
このことから、創造された物は全て間接的な目的であり、これらは秩序、度、関連を持った「用」であって、その秩序、度、関連により人間に関係し、人間を通して主に関係していることが推論される。

330. 全ての創造された物は、主と人間との連結を目標として、人間に関係を持つ以下の三つの物、すなわち、彼の身体、彼の合理的なもの、彼の霊的なものを目標としている。

331. 「身体を維持する用」は、栄養、衣服、住居、休養と享楽、保護と状態の保存に関係している。

332. 「合理的なものを完成するための用」は、自然的な、経済的な、民法的な、道徳的な事項に関係した教えを与える全ての物であり、科学や研究、学問と呼ばれている。

332. 「主から霊的なものを受けるための用」は、宗教と礼拝に属する全ての物であり、ひいては神を知り承認し、また善と真理とを、かくて永遠の生命を知り、承認することを教える全ての物である。

335. これらのものは人間を通して主に関係しているため「用」と呼ばれるにも拘わらず、主の中には全ての用は無限に一つのものであり人間の中には主によらなくては用は存在しないため、これらのものは主のために人間から発する用であると言われてはならず、人間のために主から発する用であると言われなければならない。なぜなら人間は自分自身から善を為すことはできず、ただ主のみから善を為すことができ、そして善が用と呼ばれるものであるから。
霊的な愛の本質は自己のためではなく他者のために善を為すことであって、神的愛はそれが無限大になったものである。それは親が自分のためでなく、その子のために、愛からその子に善を為すという、親の子に対する愛に似ている。
主は崇拝され礼拝され栄光を与えられねばならぬと言われるため、主は崇拝、礼拝、栄光を御自身のために要求されると勘違いする人もいるが、しかし主は人間がそのことによって神的なものが流れ入って認められることのできる状態に入るため、それを人間のために愛されるのである。なぜなら人間はこれによって流入と受容とを妨げる人間自身のものを斥けるからであり、自己愛という人間自身のものは心を頑なにしてそれを閉じ込めるためである。その自己愛は人間が自分自身からは悪以外には何も発しないし、主からは善以外には何ものも発しないことを承認することによって除かれ、この承認から心が柔らげられ謙遜になり、そこから崇拝と礼拝が流れ出てくる。
この全てから以下のことが生まれている。
主が人間を通して遂行される用は、人間が愛から善を為すことができるためであって、これが主の愛である以上、それを受けることが主の愛を楽しむことである。
それゆえ主は、主を単に拝する者とともにおられると何人も信じてはならない。主はその誡命を行う者とともに、かくて「用」を遂行する者とともにおられるのである。

1.愛と信仰、人間の再生

2.善と真理:(天界)

3.悪と誤謬:(地獄)